Part I: The Latest Research & Part II: The Container and the Contained
パートⅠ:最新の研究 & パートⅡ:入れ物とその中身
By Elaine - 17 Comments
もうすぐ出版予定の私の新刊、Spirituality Through a Highly Sensitive Lens: An Objective Look at Meditation Methods and Enlightenment(2026年4月アメリカで刊行済(※))に合わせて、これまでのブログと同じく、2つのパートをみなさんとシェアしたいと思います ―前半ではHSP研究・HSP関連ニュース・最新の知見をとり上げ、後半でよりスピリチュアルな考察と、深い内面的な視点をお届けしたいと思います。
※訳注:2026年8月の時点では未邦訳。本のタイトルを直訳すると『HSPのレンズを通してみるスピリチュアリティ:瞑想と悟りへの客観的視点』
SPS、自閉スペクトラム症、そしてADHDの明確化―そしてその他の関連テーマについて
Damatac, C. G., ter Avest, M. J., Wilderjans, T. F., De Gucht, V., Woestenburg, D. H., Landeweerd, L., … & Greven, C. U. (2025). Exploring sensory processing sensitivity: Relationships with mental and somatic health, interactions with positive and negative environments, and evidence for differential susceptibility. Current Research in Behavioral Sciences, 8, 100165.
※訳注:この論文タイトルを直訳すると以下のようになります:感覚処理感受性の探究:精神的健康と身体的健康との関係性、ポジティブな環境とネガティブな環境との相互作用、及び、感受性差のエビデンス.
”自閉スペクトラム症(ASD)とSPS(※1)”、そして”注意欠如・多動症(ADHD)とSPS”の関係について、私たちはよく質問されます。この複合的で、意欲的な研究では、その両方の問題に加え、精神的・身体的健康そして生活満足度に対する感受性差(※2)を調べています。この研究はとても複雑なので、細かい部分で迷子にならないよう、押さえておきたい要点をお伝えします。:この研究では、自閉症、ADHD、SPS、それぞれを測定する質問紙が、全体として類似した特性を測定しているとは認められませんでした。ただし、各質問紙の中には重なる因子がある。つまり、重なる領域があるので、同じ人がそれぞれの尺度の似た項目に YES と答えることがある、としています。
※訳注1:SPSとはsensory processing sensitivity(感覚処理感受性)の略。HSPの専門用語
※訳注2:感受性差(differential susceptibility)とは、”HSPは環境から受ける影響の大きさに、HSPではない人たちとは差がある(=HSPではない人たちより、良くも悪くも大きく影響を受ける)”という理論的枠組みのこと。「差次感受性(理論)」「感受性反応(理論)」と訳されることもあります。原語は「differential susceptibility」で、“differential”は”差、違い”、 susceptibilityは” 影響を受けやすいこと、感受性が鋭いこと、多感であること”を意味します。
この実験は、オランダのHealthy Brain Study(※)から得られた252人の成人のデータに基づいています。このデータには、人口ベースの健康参加者1,000名が含まれていますが、参加者はすべて30~39歳です(この年代は、結婚・第一子・最初の仕事といった主要な人生の節目をすでに経験している、いわば人生の中盤にあたる)。参加者はいくつかの評価尺度(質問紙)に答えていますが、我々にとって特に重要なのはDe GuchtのSPS尺度が含まれていることです。この尺度は6つの因子を持ち、私たちの開発した新しいHSP尺度=HSP-Rの6つの因子とよく似ています。ただし、De Guchtの尺度(the Sensory Processing Questionnaire or SPSQ)には、“深い処理”はありません。この研究の残りの部分を理解するために、今ここで、このDe Guchtの6つの因子について知っておきましょう。その6つとは、“微妙な内部および外部刺激に対する高敏感性”、“感情的および生理的反応”、“感覚的不快感”、“感覚的快適性/喜び”、“社会的情緒感受性”、“美的感受性”です(明らかに、私たちのHSP尺度の改訂版=HSP-Rに類似している)。
※訳注:Healthy Brain Study(HBS)とは、オランダで2019年から2024年にかけ、人口ベースの健康参加者1,000名(30~39歳)を対象とした、認知・情動・行動・生理学的検査、神経画像診断、生体サンプル採取、質問票、生態学的瞬間的評価、ウェアラブルデバイスを用いて集積した、脳の研究データのこと。人間の脳が生物社会的な文脈の中でどのように動的かつ個別に機能するかを理解するためのリソースとしてアクセスできる。
重要なのは、De GuchtのSPS尺度全体と、6項目のADHD尺度、あるいはより多くの項目を持つASDの尺度との間に統計的に有意な関連性が見られなかったこと。つまり、この研究結果では、SPSがASDやADHDと同じものだとする考え方は支持されなかったことです。とはいえ、SPSの因子のいくつかにはASD・ADHDとの関連が見られました。その因子とは、De Guchtの尺度にある“微妙な内部および外部刺激に対する高敏感性”と“感情的および生理的反応”、そして旧HSP尺度にある“刺激過多へのなりやすさ”で、これらをSPSレベルの高い人、そしてADHD・ASDは共通して持っていました。すなわち、これら特定の性質・経験は、程度の差はあれ3者に共通するので、“刺激過多へのなりやすさ”だけに注目すると、HSP・ADHD・ASDは同じように見える可能性があるということです。
ASDに関して詳しく見てみると、ASDの下位尺度(細部へのこだわり、幼少期からの行動の始まり、限定された想像力、限定された社会的スキル、柔軟性のなさ)の中の“限定された想像力”は、SPSと特に関連が見られませんでした。そしてSPSの因子の中の“感覚的快適性”と“社会的情緒感受性”も、ASDとは関連が見られませんでした。すなわち、SPSとASDはこれらの点で異なっているということです。またADHDについては、ADHD尺度のうち“不注意”の側面のみ、SPSの下位尺度とわずかな関連が見られ、主に関連があったのは、やはり、3者に共通すると指摘した因子(“刺激過多へのなりやすさ”)に似た、“高い感情的および生理的反応”でした。
この研究ではさらに、感受性差理論の理解を進めるため、子ども時代と現在における、ポジティブ及びネガティブな環境についても検討を試みました。感受性差とは、良い環境・悪い環境の両方に対して、HSPは影響を受けやすいとする理論的枠組みのことです。すると予想通り、ポジティブな“過去と現在”を持つHSPは、この特性を持たない人より人生の満足度が高いと報告し、反対に、ネガティブな過去と現在を持つHSPは、より自閉症的性質を示す可能性が高いことがわかりました(=ASDの評価尺度の項目により多くイエスと答えた)。
不思議なのは、特定の週の間に“気分が高揚するイベント”により多く参加したHSPほど、自閉スペクトラム症の特徴をより強く示す結果が出たこと! ただし、その“気分が高揚するイベント”のほとんどは、とても刺激的なものばかりで ― “配偶者や恋人との親しい交流”、“友人たちとの親しい交流”、“課題を達成する”、“外食をする”、“訪問する”、“電話する”、“手紙のやり取り”、“家族と時間をすごす”などでした。これらはすべて、刺激過多の原因となり得ますし、SPSQの下位尺度のひとつで、自閉症の尺度と相関を持つ“感情的および生理的反応”を高める可能性を持っています。
また研究者たちは健康についても調べ、SPSのレベルが高い人ほど、燃え尽き症候群、不安、うつ、ストレス、健康上の訴え、そして市販薬の使用と関連があることがわかりました。しかも、神経症的傾向を(統計的に)コントロールした後においてもそうでした。ただし、私がこのブログで言及したことのあるいくつかの研究では、HSPの健康上の訴えの主な根本原因は、ストレスそのものではないかとういう可能性が示唆されています。(https://hspjk.life.coocan.jp/blog-are-HSP-more-prone-to-illness.html)。ですが、この研究では、そのストレス要因を切り離していません。
この研究は複雑で、私がその真価を十分に伝えきれていないことは確かです。だとしても、この研究はSPSに関する今後の研究の方向性を示す優れた事例だと言えるでしょう。たとえば、ASD、ADHD、そしてSPSの違いをさらに解明したり、感受性差についてのより詳細な研究の例になるでしょう。
まとめ:この研究において、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、そしてSPSの各尺度について全体的に関連性は見られなかった。すなわち、SPSはいずれの特性とも同じではないと思われる、ということです。とはいえ、それぞれの尺度の因子の中には、SPSと関連するものもあった。これは、ある領域においては重なるところもあるが、全体的には異なる、ということです。そして、HSPがネガティブな過去を持っていたり、ある週において“気分が高揚する”経験が多すぎると、ASDの尺度のある側面に高いスコアをつけることがわかった(HSPでありながらASDあるいはADHDを併せ持つ可能性もあることを覚えておいてください)。ただし、これらは“一つの同じ特性”でも“一つの同じ状態”でもありません。
HSPの思春期の若者は、他の若者よりも身体的な痛みを強く感じる
Hochreuter, J., Wehrli, S., Locher, C., Lionetti, F., Kossowsky, J., Pluess, M., & Koechlin, H. (2025). Painfully Sensitive: How Sensory Processing Sensitivity Affects Healthy Adolescents’ Perception of Pain. Journal of Pain Research, 719-733.
※訳注:論文のタイトルの直訳:「痛覚の敏感さ:感覚処理感受性が健康な青少年の痛みの知覚に与える影響」
この実験では、16~19才までの健康な青少年100人に、(心理社会的)質問表に回答してもらい、その後、実験的熱痛パラダイムに参加してもらいました。痛みの直接的な測定として、参加者には、手に感じる温度を熱いから“痛い”と感じるまで自分で上げてもらい、そこでストップしてもらいます。温度の高さと、そこに至るまでの時間を、痛みの直接的な測定値とします。これを3回繰り返し、その度に参加者には全員、全体としてどれだけ苦痛だったか(疼痛強度と不快感)を、0から10までの間で自己申告してもらいました。すると、敏感な青少年(HSCスコアが高かった人)は、実験中の測定値では、他の参加者より痛みに対して敏感だったにもかかわらず、痛みの経験に対する自己申告においては、他の参加者と違いは見られませんでした。
またこの実験では、すべての参加者に、幸せ、悲しみ、もしくは中立的な感情を喚起させる画像を見せ、それが痛みの経験に影響するかを調べました。しかし、どの参加者にも影響はほとんど見られませんでした(論文著者らは、使用した画像(子犬、バースデーケーキ、ヘビ、自動車事故など)があまりにも時代遅れで、現代の若者に影響を与える可能性が低いことに気がついた!)。最後に、実験者らは質問表を用いて、参加者らが受けた子育ての質、社会的サポート、そして感情調節を調べました。しかし、HSCを含め、どの参加者の痛みの経験にもさほど影響を与えないことがわかりました。すなわち、これらどの要素にも関係なく、HSCは単純に身体的に痛みを感じやすい、ということです。
まとめ:HSPは、少なくとも青年期において、たとえ自己報告で認めなかったとしても、痛みに対して身体的により敏感であるように思える(この論文の結果を読んで私が思い出したのは、多くのHSPから「痛みにとても敏感だということはわかっているけれど、それを認める気になれない」と聞かされてきたことです。認める気になれないというのは、すなわち、苦痛を訴える気になれない、ということです。これまで私たちは何度、“そんなに神経質になるな”、“たいしたことじゃない”、“気のせいだ”と言われてきたことでしょう)。
ほとんど“予想通りのニュース”:歯医者に行くのはHSPにはストレスフル
Golonka, K., Gulla, B., Ko?cielniak, D., Darczuk, D., Cienkosz-Stepanczak, B., Bystrowska, B., … & Krzy?ciak, W. (2025). Sensory processing sensitivity in adult dental patients and its relation to perceived stress, cortisol, and serotonin secretion. Scientific Reports, 15(1), 1-14.
※訳注:論文のタイトルの直訳:「歯医者に通う大人の感覚処理感受性、及び、知覚されたストレス、コルチゾール、セロトニン分泌との関連性」
この研究では、歯医者に通う157人の患者を対象に、彼らの通院日に調査を実施しました。患者にはHSP尺度と、ストレス感の尺度、そしてポジティブ・ネガティブどちらの感情を感じているかの尺度に答えてもらい、さらに様々な生化学的検査を受けてもらいました。するとHSPのスコアが高かった人ほど、ストレスやネガティブな感情を感じていることが報告され、さらに、髪の毛のサンプルから測定された、ここ数ヶ月のコルチゾールのレベル(ストレスの指標)が高いこともわかりました。研究者たちは、こうした結果が生じたさまざまな要因を考え、歯科診療の際、HSPの助けになるような取り組みの必要性を示唆しています。
オーケイ、では、個人的な話しをしましょう。彼らの提言に全面的に賛成です。歯医者は私にとって、何をされるのか、医者は親切か、といつもストレスでした。予約日前の何週間かはそのストレスで生活を台無しにしないよう、当日まで何も考えないようにしてきたほどです。そしてたいへんな治療にならないよう、いつも熱心にメンテナンスを受けてきました。でも、クリーニングするだけでも苦痛なんです(HSPじゃない夫には苦痛じゃないらしく、クリーニングの最中に眠りに落ちるほど)。前回のクリーニングでは、前もってアセトアミノフェン(※1)を2錠処方してもらい、実際、それは効き目がありました。とはいえ、みなさんもそうしなさいと言ってるわけではありません。おそらくプラシーボ効果程度の効き目なのでしょう。重要なのは、もし歯医者があなたを悩ませているのなら、その理由は、あなたの敏感さにあるということです。痛みへの敏感さ、歯の状態への不安、適切なケアをしてこなかったことへの批判の恐れ、その他もろもろへの。繰り返しになりますが、敏感であることが、私たちに、私たち自身のことを説明してくれているのです。
※訳注1:アセトアミノフェンは鎮痛薬の一種
まとめ:HSPが通常、痛みに対して身体的により敏感であるのなら、歯医者に行くことに不安になることは当然だと思える。
HSPは慢性的な病気に向き合う時、他の人たちよりも質の高い生活を送ることができる可能性がある
Bakhshayesh Eghbali, B., Hosseini-Nejad, M., Saadat, S., Babaee, M., Eyvani, K., Kohandel, K., & Shabani Chobe, M. (2025). The Role of Sensory Processing Sensitivity and Self-management on Quality of Life in Multiple Sclerosis. Caspian Journal of Neurological Sciences, 11(1), 67-76.
※訳注:論文のタイトルの直訳:「多発性硬化症になった際のクオリティ・オブ・ライフに関する感覚処理感受性とセルフマネージメントの役割」
この研究は、深刻な病気を抱えている人にとって、高感受性がどのように役に立つかを示してくれています。多発性硬化症(MS)は、様々な機能障害を引き起こし、そのことが生活上の制限や失業、そして社会活動やレジャー活動からの離脱を招く要因となっています。この研究では、質問紙を用いて、SPS尺度、健康に関するクオリティ・オブ・ライフ、そして“セルフマネージメント”を測定しました。質問紙が配られたのは、イランの全国臨床レジストリに登録されている、320人の“再発寛解型”多発性硬化症の患者たちです。
私は、この中のセルフマネージメントが興味深いコンセプトだと感じました。ここでのセルフマネージメントとは、慢性的な病気にどれだけ積極的に向き合っているか ― 例えば、治療や投薬の遵守、治療方針への積極的な関わり、セルフケア、社会的関係の維持、感情のバランスの保持などを指しています。すなわち、慢性的な疾患を抱えて生きなければならない時に、良好な精神状態を維持し、生き生きとした活動をするために必要なスキルへの学びと活用のことです。この調査では、医療従事者とのコミュニケーション・治療の遵守・MSの知識・全体的な健康維持行動を含む、セルフマネージメントの5つの領域について評価しました。
すると、MSを患っている患者の内、感受性が高く、セルフマネージメントのスコアが高かった人ほど、クオリティ・オブ・ライフも高いことが示されました。この両者(感受性の高さとセルフマネージメント)の関連性を研究者たちは報告していませんが、私はおそらく関連性は高いのではと考えています。彼らがSPSを研究対象としたのは、身体の感覚に気づきやすいのであれば病気の管理も上手いのではないか、また、刺激過多に悩まされやすいのであれば、その刺激を減らすことが上手く、結果ウェルビーイングを向上させているのでは、と考えたからです。でもHSPが病気に関わるすべてのことについてより深く処理するのであれば、そのこと自体が、より優れたセルフマネージメントに結びつくのは当然だと言えるでしょう。今後誰かがこの研究を再現し、他の慢性疾患についてもHSPが治療成果を向上させているかどうか調べてくれることを期待しています。
まとめ:この研究は、HSPが自身の体や、専門家のアドバイス、かかっている病気の詳細、そして個人のニーズにより注意を払うことで、より良い患者になり得る可能性、そしてその方法について、新たな研究の道を開いた。
HSPは自然と繋がることによって、他の人たちよりも恩恵を受ける
Wigley, I. C. M., Nazzari, S., Pastore, M., Provenzi, L., & Barello, S. (2025). The contribution of environmental sensitivity and connectedness to nature to mental health: Does nature view count?. Journal of Environmental Psychology, 102, 102541.
※訳注:論文のタイトルの直訳:「環境感受性および自然との関わりによるメンタルヘルスへの寄与:自然の景色を見ることは(メンタルヘルスに)影響するか?」
この研究も、自然の中にいることで ― ここでは自然(木々、庭、公園)を眺めて暮らすことで ― HSPが恩恵を受けることを示す、もうひとつの例です。807人のイタリア市民をサンプルとしたこの研究では、SPS尺度が高い人ほどストレスや不安、うつ症状のリスクが高くなるものの、自然と繋がっていると感じている人たちは、そのリスクを低く報告していることがわかりました。自然との繋がりを感じているということは、当然その人たちは日頃から自然と触れ合っていることを連想させます。そこで、この研究では、自然を眺めて暮らしているHSPが、自然との繋がりやメンタルヘルスに関してポジティブな影響を受けているかどうかを検証してみました。すると、結果はその通り。すなわち、習慣的に、あるいは毎日、視覚的に自然と触れ合うことは、HSPにとってはとりわけ自然との繋がりを高め、心理的に苦痛なリスクを緩和してくれることがわかったのです。
まとめ:HSPには自明のことですが、今回の研究はさらに新しいものを示してくれました。自然と繋がることは私たちにとって大きな助けとなりますが、日々の生活の中で眺めるだけで、効果が得られることがわかったのです。ですからみなさんもぜひ、生活あるいは仕事の場で自然を眺めることを優先してみて下さい。できたら両方の場において。また今回の研究にはありませんでしたが、家の中に植物を置いたり、ペット(金魚でも)を飼うことも役に立つかもしれません!
パートⅡ
入れ物とその中身
(年齢にかかわらず)こんなことを考えたことはありませんか?年は取っていくのに、自分の中には変わらない何かがある。つまり、本当の自分はずっと変わっていないのではないか、と。
ある状況の中で、自分自身を見つめている、もう一人の自分がいるように感じたことはありませんか?まるで、自分が「行為している者」ではないような感覚です。
では、その変わらない「自分」とは何者なのでしょう?そして、何もせずにただ見つめることのできる存在とは?これはとても大きなテーマです。でも、まずはその一端から見ていきみましょう。
最近のニューズレターでは、後半で、“スピリチュアル”なテーマを取り上げています。ここで言うスピリチュアルとは、物質とは対照的な、いわゆる古典的な意味でのスピリチュアルになるかもしれません。というのは、私はその第1弾となるブログで、“相対的な側面”そして“絶対的もしくは超越的側面”という、人生で経験するであろう2つの側面について書くことから始めたからです。そして第2弾では、収縮と拡大というたとえを用いて、その2つの側面を単純化してみました。日常では絶対性というものの見方は忘れがちですが、収縮と拡大なら誰にもなじみがある精神状態だと思ったからです。収縮状態はけっして悪いものではありません。私たちは集中するとき、意識を収縮させるものです。もっと哲学的な表現がお好きなら(HSPならたいていは好き)、相対的な、物質世界にあるすべてのものは、究極的に、全体性の一側面を収縮したものだと言えるでしょう。逆に拡大状態は、それら収縮したものを緩め、より大きな視点で見ている状態、あるいはリラックスしている状態だと言えます。今回のブログでは、人生におけるこの2つの側面を、“入れ物”そして“その中身”として、異なる角度から話していこうと思います。
入れ物? それって何のこと?
いつものように、書く内容は事実に基づいた実用的なものにしていきたいと思います。ここでいう“入れ物”とは、体のことを意味しています。ただこの入れ物は、“私たちに属する”あらゆるもの ― 私たちの名前、人生、教育、キャリア、家族 ― に広げて考えることができます。ただ、その中心となるのはやはり体です。というのは、体、特に脳なくしてはそれらはどれも失われてしまうように思えるからです。にもかかわらず、私たちは深刻な病気になったり、年をとったことに気づくまで、自身の体の脆さを忘れたり、無視したり、あるいは否定したりするかもしれません(私は、年を重ねたことをジョークにしたバースデーカードには、どこか悪意があるんじゃないかとひそかに感じている)。
おそらくみなさん、死について、そして死んだ後に何が残り、何が残らないかについて、それぞれ異なった考えをお持ちなのではないでしょうか。中には今、退屈そうにあくびをしている方もいるかもしれませんね―そんなあなたはきっと死後の世界を完全に信じている。あるいは、生まれ変わりを信じている方もいるかもしれません。かたや、私がこの話題を持ち出したことに、腹を立てている方もいるかもしれません。死んだらすべて無くなってしまうのに、こんな議論することが、どうして事実主義で実用的なのか?と。
事実
たしかに、ほとんどの人は人生のおける絶対的領域のことなど知りませんし、知っているとしたら相対的な領域のことだけです。人はたいてい、相対的な入れ物である体のことだけを理解していて、それを自分自身と同一視している。それでも、“事実”として、驚くほど多くの人が、死後の世界でも生き続ける魂や霊を持っていると考えています。中には、生死をさまよった時に、それを体験したと感じている人たちもいます。そしてそうした体験を調べた研究の中には、非常に信頼性の高い研究もあります(例:ブルース・グレイソンの研究(※))。多くの人が、愛する故人と触れ合った、自分たちと話すために戻ってきてくれた、あるいは、彼らが死んでないというサインを見せてくれた、と話しています。さらに、どの宗教も(ユダヤ教でさえ)、不滅の魂や霊の存在、生まれ変わり、あるいは死後もその魂がどこかで生き続けるという考えを持っている。
※訳注:ブルース・グレイソンはアメリカの精神科医、バージニア大学名誉教授で、「臨死体験研究の父」として広く知られる。臨死体験を客観的に測定する「グレイソン臨死体験尺度」を開発。彼の研究を体系的にまとめた『臨死(ニアデス)体験 生と死の境界で人はなにを見るのか』は日本でも出版されています。
事実として、これほど多くの人が体験していることを、間違っていると考えることの方が難しいかもしれません―“私とあなた”をのぞいては。いま“私とあなたと”と言ったのは、この種のテーマについて、私はこれまで確信を持ったことがないからです(輪廻転生を信じている友人は、“あなたが輪廻転生を信じないのは、輪廻転生を信じないというカルマを負って生まれ変ったから”と私をからかう)。じゃあ、実用的な面ではどうなの?とあなたは思われるかもしれませんね。それについては、“入れ物”そして“その中身”という視点に立って死が終わりでないという確信を持つことができれば、あなたの生き方が本当の意味で変ってくるという点にあります。
しかし、この死後の世界があるのか?という問題をひとまず置いておいたとしても、私が心から尊敬する人たちの中には、体にはそれ以上の何かが宿っていると確信している人たちがいます。実際、どの霊的指導者も精神哲学の著者たちも、このことを論じてきたように思えます。例えば、私はトマス・マートンの“個性化“の話しが好きなのですが、彼は、”我々の文化は、私たちを絶えず“個”としての成長や”自己実現“へと駆り立てるが、一方で、神が私たちに望む”人間像“は、自分あるいは人生の外面的な虚飾を手放し、神の意志や神の愛を求めた時に、初めて知ることができる”と話しています。
そしてラム・ダスがいます。『ビー・ヒア・ナウ: 心の扉をひらく本』(平河出版社)で知られる陽気でチャーミングな彼は、60代の時に脳卒中で倒れた後、その時の経験を元にStill Here (※)を執筆し、私たちのために老いと死というテーマを探究してくれました。
※訳注:Still Hereの邦訳はありませんが、ラム・ダスの講演の中から同じテーマを集めた『死の処方箋: 人はなぜ苦しむのか?』は日本でも出版されています。
実用性
私は死後の人生のことはわかりませんが、ラム・ダスと同様、今の人生のことならわかります。50年欠かさず実践してきた瞑想、そしてこれまでの肉体としての80年の人生を通して、私は自分の体が何かの入れ物であるという明確な体験を得ました。その何かとは、すべての出来事の目撃者、あるいはラム・ダスが言うところの“ソウル(魂)”と呼べるものかもしれません。これは単なる信念ではなく、体験そのものであり、きわめて実用的なものです。その体験が、慢性的な痛みに苛まれたり、恐ろしい診断を受けたり、あるいはそれまで楽しんできた活動が失われてしまった時に、一時的にかすんでしまったこともありました。でも、その“もうこれで終わりかも”という感覚は長くは続きません。特別な努力をしなくても、その超越的なもの ― 魂、偉大な何かが、最後は優勢となって、精神的な落ち着きが戻ってくるのを感じます。大きく、限りないない何かが。そしてそうなるのは、私が自分の体や起こる変化に、あまり同一視しなくなったせいなのだということがわります。私は何か他のものなのです。繰り返しますが、これは信仰や信念ではなく、体験です。そしてその体験が、確実に、老いや病気などを受け入れやすくしてくれているのです。少なくとも、今のところは。
もうひとつ、体験に基づいた実用的な話があります。私がラム・ダスに再度関心を持ったのは、お気に入りのポッドキャスト“Buddha at the Gas Pump”で、リヤズ・モタンの書き起こしのインタビューを読んだことがきっかけでした。リヤズは、インド系のケニア生まれで、心理療法士として働くかたわら、個人的にスピリチュアルな道を探究し、恒久的な“目覚め”を得ました。これが後に、彼のスピリチュアルの師、アディヤシャンティからダルマの伝授を受けることにつながります。このことは、彼が他者に教えを説くのに十分な段階に達したことの証しであり、ある意味、彼はその時人生の絶頂にいたと言えるでしょう。ところがその4ヶ月後、この健康志向の強い、スピリチュアルな彼は、自分がステージ4の末期がんであることを知らされます。そしてその治療に没頭することになるのです。
この劇的な人生の変化に適応するために、彼はかつてないほど自身の精神性を駆使して、たんに受容するのみならず、成長へと至る道を歩むことになりました。多くのインナーワークを経た後、彼はこう言っています。ガンには本当に感謝している、これは“偶然自分に起こったんじゃない、自分のために起こったんだ”と。
この言葉が私の心を強く捉えました。実はこの言葉は、ラム・ダスからの引用でした。ラム・ダスもまた脳卒中になったとき、同じように感じていたのです。この脳卒中によって、活動的だった彼は車椅子へと追いやられ、非常にゆっくりとしか話すことができなりました。もし私に同じようなことが起こったら、はたして“これは自分に起こった最高の出来事だ”と思えるようになるだろうかと、と思ってしまいます。体やその健康が、自分そのものであるかのような文化で生きている私たちにとって、それは容易なことではありません。ラム・ダスはStill Here の中で、見方の転換について多くのことを語っています。そしてそれは結局のところ、“入れ物”とその“中身”の違いを知る道へと帰着するのです。もちろん、入れ物、つまり体も重要です。入れ物あっての中身です。でもどれだけ多くの人がこの中身のことを知っているでしょう? そしてそれをどれだけ自分と同一視できているでしょう?
どうやったらその境地に至ることができるのか、それが私にとってさらなるテーマとなりました。そのテーマはとても複雑だったので、研究を重ね、Spirituality Through a Highly Sensitive Lens にまとめ上げるまで5年を費やすことになりました。この本は来春出版予定(※)なので、それまでの間は、ブログでみなさんにアイデアのいくつかをお届けできたらと思っています。とはいえ、そこに至る道は、結局のところ、とても個人的な旅になるでしょう。トマス・マートンや、リヤズ・モタン、ラム・ダスがそうであったように。でも、“できないことはない”ということははっきりとお伝えしておきたかったのです。それが誰であっても。
※訳注:2026年3月にアメリカでは刊行済








